社長のコラム | 株式会社アルシンク
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社長のコラム 2017年 8月

 2011年3月11日、東日本大震災が発生し、あまりの自然の力の強大さ、無慈悲さを体験してから駄文を綴ることに無力感を感じて文章が書けなくなってしまいました。 あれから6年半がまもなく過ぎようとしています。

 

 その間、世界が平和になったかと言えばIS(イスラミック・ステート)が中東で残虐行為を繰り返し、避難民がヨーロッパに押し寄せ地域間の憎悪を異常なまでに高め、排外主義と自分たちだけがよければという自国優先思想が蔓延し、隣人愛と寛容の精神は人類の知性と共に風前の灯火になってしまいました。

 

 アメリカでも、資本主義の強欲さを限界まで追求した結果、貧富の差がどうしようもない程拡大しました。その結果、反エリート、反エスタッブリッシュメントの感情が、世界に混迷をもたらしました。冷静に考えればトランプがいかに支離滅裂で、下品で、資本主義の権化であることは明白であるにもかかわらず、コアな支持者を集めてそれが世界をますます不安定にしました。

 

 身近な国である中国、品格のある尊敬される国であるかと言えばとてもそうではないと断言できるでしょう。貧富の差、国家によるいわゆる反体制派に対する弾圧などの人権問題。儒教を生み、杜甫の生まれた尊敬すべき文化大国が、共産主義を標榜し、経済大国となりはしましたが、赤い資本主義国家となり、平等で自由な国からは遠ざかりつつあります。世界から尊敬される大国として認知される時代は来るのでしょうか。

 

 少子化と高齢化が進行しやがて稀少人種としての日本人になり、日本が国家消滅を迎えるかもしれないと一部の学者は予言しています。その日本に住む私としては、テレビ、マスコミで取り上げられるスキャンダルとは縁遠く、統率力のない権力者ではなく、カタストロフィーを迎えることなく日本国民と世界を平和と持続可能な世界に変えることのできる政治家の出現の願ってやみません。冷静な判断力と価値観を未来の子供たちのために使うべきなのです。

社長のコラム 2016年 7月

  想定外のこと

 

もう5年と4ヶ月も過ぎてしまいましたが、東日本大震災時、東電福島第一原発事故の際は免罪符のように繰り返し説明されました。

確かに1000年に一度の事象であれば無視してもいいだろうと経済的には考えるのが普通なのでしょう。しかし1000年に一度であっても巨大災害が想定されるのであれば対策を講ずるべきだと考えた電力会社もあったのです。

 

今や世の中は凡人には想定外のことばかりです。

ですが、いわゆる専門家と呼ばれる人々は起こりうる可能性のあることを決して想定外と思考停止をすることはないのです。

 

ただ、あらゆる可能性を検討し、対策を講ずることは残念ながら人間の思考力の限界を超えつつあるのも事実でしょう。SFの世界ではコンピュータに判断を任せ、そしてコンピュータに支配される世界がデストピアとしてたびたび描かれます。

 

しかし、世界各国で、いわゆる指導者と言われる人々が後の時代からは狂気の行動と非難され、多くの人々が犠牲になった歴史があります。振り返ると集団感情と憎悪と正義を主張し合い、ぶつかり合い、唯我独尊になるのであればコンピュータの冷静な合理的な判断に頼る時代が来ても、人間の持つ非合理さと非人間性を打ち消せるのであればそれも選択肢なのかと夢物語をみてしまいます。

社長のコラム  2016年 3月

 東日本大震災から丸5年が経過しました。ここ、福島市は除染作業もほぼ終わり、見た目は震災前と変わらなくなりました。

 しかしながらすぐ近くのアパートには、東京電力福島第一原発近くに住まいが有り、未だに帰宅できない避難者の家族が住んでいるのです。高齢のおばあさんにとっては狭い部屋でどれだけストレスのたまる5年間だったでしょう。しかも帰還がいつになるか皆目わからないのです。

 

 震災による津波被害、原子力発電所による放射能汚染、どちらも悲惨な結果をもたらしました。亡くなられた方々、失われた財産、ふるさと。これほど大きな被害は東北にとってだけで無く、安全安心で豊かな日本の心象を根本から変えてしまいました。

 

 元々日本は自然災害の多い国です。起こりうる災害の大きさを考えれば、できることなら、オーストリア大陸とか、カナダのように暮らしやすい国に移住するのも選択肢の一つになってゆくでしょう。でも、この緑多い、温暖な日本という国を見直せば、ここで生まれ、一生をここで過ごすことは今の私にとっては最善の選択です。

 

ただその中で、これからも日本を愛し、住み続けてゆく子供たちのためするべき事があります。
 まず、老朽化した原子力発電所は、現在進行中の東電施設の解体にかかる年数、起こしてしまった事故による被害の大きさ、放射性廃棄物の安全な処理技術が未だ確定されていないことを考えると運転停止の上、時間をかけて解体すべきです。
 そして、地球環境に優しい代替エネルギーにするべきです。その上でエネルギーが不足し、国民総意でエネルギー源として必要性を認めるのであれば、福島で起きたことが日本全国で起こりうる覚悟をした上で最新の原子力発電所を新たに最小数作るべきだと思うのです。

 

 原子力推進派の、事故から何も学ばないような安全性の無視と、廃棄まで含めた総コストの不経済性を認めないとも思える態度、一切の妥協点を認めないとも思える即時廃棄派は果たして現実的対応と言えるのでしょうか。

 

 私たちは起きてしまった放射能汚染の中で生きて行かなければならないのです。どの程度安全かは議論のあるところですが、汚染ゼロを善とし、その他一切を否定する態度は風評被害に結びつく非科学的な面も有ります。
 現実に日本国内、中国にこれだけ既存の原発があればやがては日本中が放射能汚染され、誰も住めない国になってしまう可能性があることを東電福島第一原発の事故は教えたのではなかったでしょうか。

社長のコラム  2015年 1月

保険代理店として、普段私たちがどんな思いで仕事をしているのか。なかなか理解しにくいのではないでしょうか。

たとえば、皆様のご親戚、あるいはご家族の誰かが保険代理店になりたい、あるいは仕事に就きたいと相談されたらどのように答えるでしょうか。

『毎日毎日、保険販売のノルマに追われて大変だろうからやめときなさい』と答える方がほとんどではないでしょうか。

 実は私も同じような思いでした。今から33年前に、福島市にUターンし、その頃職業安定所と言いましたがハローワークに求職に行ったとき、保険販売だけはしないぞと考えていました。

そんな考えを吹き飛ばしてくれたのは身近で一生懸命、保険の外務員として仕事をしている叔母でした。その当時は今以上に生命保険に対する偏見は強くありました。叔母も生命保険の役割と必要性を理解してもらうには苦労したと思います。ですが、お客様が叔母を信頼し、紹介してくれる方が多く忙しく働いていました。

 その叔母に話を聞いたところ、損害保険代理店として活躍している私の先輩がいるとのことでした。それで保険会社に説明を聞きに行ったのがこの業界に入るきっかけでした。

確かにこの仕事についてみると大変でした。何せお客様がいないことには何も始まりません。いくらいい内容の保険であっても加入されたお客様がいてこそ、万一の場合、困ったときに初めて役立つわけですから。まずは保険がどのような役に立つのかを説明し、自分という人間を理解して頂くことから始めました。

損害保険、生命保険の業界に入ってから気づいたことは、人生にはアクシデントや不幸なことがある日突然起きるのかということです。それまでは他人事のように思えていたことが当事者として発生するのですから。そんなとき、心配や不安でいっぱいのお客様に『大丈夫だから心配しないで』と声をかけられるのはこの仕事を選んだからだと思います。

だからこそ、万一の場合にお役に立てる保険をできるだけ多くの方々にお勧めしたいとの想いが私を含めて社員の思いになっています。それは社員全員がお客様の心配を無くしたいと事故解決の経験を多く積み重ねてきたからです。

保険販売は簡単ではありません。ですが、皆様のお役に立ちたいとの想いを伝える仕事が保険代理店の仕事なのです。

社長のコラム  2014年 10月

 世界全体が、なにやら不安定な時代に入りつつあると思える最近のニュースです。

過去において、キューバ危機といわれる米ソによる核戦争で人類絶滅の危機に瀕したのは私が10歳のとき、今から52年前でした。

 ベトナム戦争が激化し、戦争の悲惨なニュースがあふれたのは学生時代でした。その後も戦争は続き、イラン・イラク戦争、ロシアのアフガニスタン侵攻、湾岸戦争、アメリカのアフガニスタンでの武力行使等々。

 その他にもアフリカ、中南米での内乱、南シナ海での緊張、世界中至る所で殺戮が行われています。現在は、戦争、武力衝突、ゲリラ活動、テロ活動と規模の大小、戦い方で名称を変え、平穏な生活が脅かされています。対立する側が互いに正義を唱え、戦いをやめることは非常に難しくなっています。

 どんな場合でも犠牲者は一般市民が多く、この構図は人類が戦争を始めたときから変わりません。

 過去の戦争は軍隊と軍隊の戦いで有り、一般住民が犠牲になるのは勝者が敗者を徹底的に蹂躙し虐殺、略奪を加えた場合でした。しかしながら近年の戦争は非戦闘員を殺すことを正当化しました。Vロケットでロンドン攻撃をし、ドイツが絨毯爆撃され、日本も同様に空襲され、最後は見せつけとして広島、長崎に原爆が落とされました。

 日本が戦争をやめてから70年になろうとしています。戦争で戦った人々、悲惨な経験をした人たちも少なくなりつつあります。私を含めて、戦争を体験したことのない世代は映像や、本での追体験であり、銃で撃たれたり、爆弾で手足を吹き飛ばされ痛みを経験したことはありません。

 世界中で、自分の正義を振りかざし、ヒロイックな不死身の、あるいは殉教者としての戦争礼賛者は体制、思想を問わず、大多数の普通の人々、すべての生命、自然環境にとって不要ではないでしょうか。

 SFの世界であれば、宇宙から人類を見ている神が世界を終わらせることを正当化することばかりがますます増えていくような思いです。

 残念ながら、主義主張を通すために武力、武器を使用することが過去、現在において有効な手段で有り、犠牲者が出ることを無視する人々がいるのです。そのような人々を排除するためにも同じように武力、権力が必要なのは歴史の記録にもあるのです。

 歴史を振り返り、現在を見ているとグローバル化に伴い、世界中に絶対安全なところはもはやあり得ないのだと思います。

 残念ながら、どんな災難でも発生確率の大小はあれ起こりうるのだと思います。